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雷雨、そして停電

Thunderstorm1ミネソタは比較的雨の日が少ないですが、この1週間ほどは梅雨かと思うような天気が続きました。西から東から来た前線が中西部で停滞したようです。私達の住むところでは洪水は起こりませんでしたが、激しい雷雨と風には何度か見舞われました。雨も風も台風並み、雷はフラッシュ演出さながら絶え間なく鳴り。突風の通った道は太い木がばさばさ折れて倒れていました。うち1回は10万世帯以上が停電。うちは10時間程度の停電でしたが地域によっては復旧に2日程かかったようで、電力頼みのアメリカ人には辛かったでしょう(私は鹿児島出身なので慣れている)。Sakiko

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Woodbury Days

Mn_011WoodburyはTwin Citiesの東、車で30分ほどのところにある町だ。この町で催されているWoodbury Daysというお祭りの中のイベントの一つ、Bike Rideに参加するため、うす曇の土曜日の朝早くに家を出た。

このイベントは、ロングサイクリングで競争ではない。10・30・60マイル(それぞれ、約16・50・100km)のコースが設定されていた。TORITORIは60マイルにエントリー。久々の100kmサイクリングだ。たまに自転車通勤をしているとは言え、運動不足が否めない。お腹のお肉もそれを証明している。そんな不安を抱えながらの参加だった。

20kmを過ぎた頃から、どんよりとした雲は徐々に消え、初秋を思わせるよい陽気となった。比較的交通量が少なく、かつ、景色のいいところを選んでコース設定されていたように思う。コース上に3箇所の休憩所が設けてあった。そのうち、2つ目の休憩所は、昼頃通過になるため、ターキーブレストまたは、ローストビーフのサンドイッチが用意してあった。なかなか美味しかった。

後半、多少スタミナ不足を感じたものの、余力を残してゴールできた。今シーズンあと3つこのようなイベントにエントリーしている。その3つも、今日のように良いコンディションで走れるよう願って已まない。

TORITORI

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スイッチに見る節電意識

クーラーのスイッチ写真はクーラーのスイッチ。TORITORIの中では、"オフ⇔弱⇔中⇔強"の順が当たり前だった。オフという最も弱い状態から、段階的に強になっていく。これがとても自然だと思っていた。ミネソタに来て、写真のようなスイッチを目にして、驚いた。クーラーだけでなく、扇風機も、"オフ⇔強⇔中⇔弱"なのだ。

扇風機を使うとき、いつも何故か違和感を感じていたのは、これが原因だった。「弱」で使いたいだけなのに、スイッチをたくさん回さないといけないのだ。いや、スイッチを回す労力の話ではない、ちょっとした瞬間でも羽が最大出力で回ってしまうことに違和感を感じる。ちなみに、携帯ラジオのスイッチ兼ボリュームは"オフ⇔小さい⇔大きい"の順だったので、安心した。スイッチを入れるたびに、大音響を聞かされたのでは、たまったものではない。

ちなみに、ミネソタの人はとても暑がりです。生まれ育った自然環境の違いか…。TORITORIがちょうどいいという陽気でも、オフィスや住宅のクーラーは、ガンガンに稼動しています。暑いそうです。人が居ようが居まいが稼動しています。そんなだから、スイッチも入れたらまず"強"で運転なんでしょうね。あるいは「"オフ"と"強"しか使わんぞ」みたいな…。

TORITORIの勤務しているオフィスでは、昼夜を問わず、週末も平日もなく、クーラーは付けっぱなしです。月曜日の朝、部屋に来て暑いのが耐えられないらしい。そんなわけで、節電という言葉は、辞書にはないようです。また、グローバルウォーミングは知っていても、節電とは無関係のようです。YouTubeで、雪だるまが、「僕が解けないように…」って訴えていたらしいが、はて?どこの国の話だったか…。

TORITORI

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ミネソタ音頭♪

Lantern_festivalセントポール市と長崎市が姉妹都市ということで、Como parkでJapanese lantern lightning festivalが毎年開催されています。これは私が指導させていただいている合唱団「夢民」にとって、一大イベントです。「島唄」では「沖縄三線会」の人たちとコラボしたり(初の試み)、日舞の「ミカハル会」や太鼓の「Mu Daiko」と一緒にできたばかりの「ミネソタ音頭(ミネソタ盆踊り)」のお披露目をしたりもしたんですよ!当日はあいにくの雨で、スケジュールも行き当たりばったりで振り回されてばかりでしたが、なんとか無事終わりました。どっと疲れが出ました。。。Sakiko

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Mn_629久しぶりに、雨のさえない天気の1日だった。こんな日は、家で、おとなしく英語のお勉強。ただ、アメリカに住んでいるだけでは、上達しない英語。非常に悩ましい。
"It sounds like rain."と"It sounds like rain."。字面は一緒だが、強調して発音する部分が違う。その結果、意味も違うそうだ。発話者は、前者では、実際に雨だと思っている。後者では、雨だとは思っていないそうだ。
他にも、「この映画どう?」のような質問に対する答えとして、"It was pretty good."と"It was pretty good."が例文で載っていた。後者は、実際には気に入っていないそうだ。
実際の生活では、これらの単語が正確に聞き取れた上で、このような強調箇所によるニュアンスの違いもキャッチしないと、微妙なすれ違いの原因にもなる。言葉って難しい…

TORITORI

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ペルーの罠

Peruvian_foodペルーの旅にはいくつかの罠があります。高山病、乗り物酔い、高所恐怖症、長時間のフライト、ハードスケジュール、早起き、時差ボケ、スペイン語、交通事情、そして食べ物。私も初めは心配でしたが、高山病で苦しんだのは最初の朝だけで、あとは元気いっぱいでした!

食事、本当においしかったです。この写真はセビッチェ(魚介をレモン汁などで和えたもの)とチチャモラーダ(紫とうもろこしのジュース)。他にはアンティクーチョっていう牛の心臓を串に刺して焼いたものや、ロモ・サルタードっていう牛肉・野菜炒めや、マスの塩焼き、アルパカステーキ、モルモット(クイ)、鳥のから揚げのようなものが名物のよう。どれも日本人の口に合います。お薦めのレストランは、クスコのpucaraとinka wall、プーノのla casona、ナスカのplaza mayor、チンチャのla batan。

ペルーではあんなに良かったお腹の調子が帰りの機内食で危うくなり、アメリカの入国審査では別室に連れて行かれて犯罪者のような扱いを受け、飛行機を乗り換えるたびにペットボトルを没収され(今乗ってきた飛行機でもらったんですけど。。。またセキュリティチェック?)、国内線は肥満体だらけ(自分達が小人のように感じた。。。狭いって)。結局、嫌な思い出は殆どアメリカでのもの。しょうもない国に帰ってきてしまった。海・山・砂漠・熱帯雨林・歴史・新鮮な魚介類・きめ細やかな味付け・小物のセンスの良さ・・・あぁペルーが懐かしい。Sakiko

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ハチドリ

遊覧飛行(前の記事からの続き)突然だが、TORITORIは横回転に弱い。遊園地にあるコーヒーカップはもちろん、メリーゴーランドでも酔う。以前ニュージーランドでグライダーに乗ったが、グライダーも旋回(横回転)をしながら高度を稼ぐため、そのときも酔った。

ペルー最終日のこの日は、ナスカ地上絵を見るためにセスナに乗る。酔っている暇はない…が、このフライトもかなり旋回をする。グライダーでないのに何故?それは、地上絵を見るためである。右側の乗客に見せた後、左側の乗客にも同じように平等に見せるため、ご丁寧にも右旋回左旋回を交互に繰り返す。たまったものではない。

宇宙飛行士(?)ガイドに、「酔いますから朝食は少なめに…」という注意を聞いておきながら、たらふく食べてしまった。だって、ビュッフェの上美味しかったから。さらに、ガイドは言う「写真に夢中になっていると酔いますから、写真ではなく、頭に記録してくださいね。」と。TORITORIは、写真を撮りまくるつもりである。

TORITORIが酔う条件は十分すぎるほど整った。かくして、飛行機はナスカの空港を飛び立った。広大な砂の平原には、幾重にも水の流れた後がある。昔、砂場で水を流して遊んだときに見た模様そのものだ。ナスカ人、ここにも絵を描いたが、消されてしまったのか…、それとも、ここには描かなかったのか。いぜれにせよ、人工的な模様は微塵もない。クジラや宇宙飛行士(?)の絵は、突如として、そんなエリアに現れる。

ハチドリその後、飛行機は平原をまっすぐ西へ飛ぶ。すると、ある線を境に先ほどまで無数にあった流水の模様がピタッとなくなる。そこに、ハチドリ、クモ、コンドルといった有名な地上絵が描かれている。肉眼にもそれをしっかりと焼き付けながら、夢中でシャッターを切った。かすかに見えるもの、はっきりと見えるものいろいろだ。いつごろ描かれたのか知らないが、良く残っていたものである。

昨日ミラドールから見た木と手を最後に、機まっすぐに空港へ戻った。さて、乗り物酔いの件だが、酔いそうな気配は感じたものの、無事遊覧飛行を終える事ができた。どうやら、事前に飲んだ酔い止めがぎりぎりのところで抑えてくれたようだ。

クモ
この後、昨日と同じ道でリマへ戻る。再び7時間のドライブだ。ここで、一番最初のペルーの記事にあった事故現場を通過する。2階の潰れた2階建てバスだ。飛行機が遅れたり、バスが遅れたりといろいろと不満が募る事もあったが、それぞれの目的地にちゃんと到着できただけでもありがたい。このバスの2階にいた何名かの方は、永遠に目的地に到着できなかったのだ。この場を借りて、彼らのご冥福をお祈りするとともに、無事旅行を終えられた事を感謝し、この旅行記を締めくくりたいと思う。

TORITORI

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自分の名前の町って!?

(前の記事からの続き)専用車でリマからナスカへ向かう。太平洋岸の道をひたすら南下する。観光バスだけでなく、トラックも結構通る。産業的にも重要な道路のようだ。ナスカの地上絵のトカゲの尻尾を横切って建設されたこの道、最初は何でと思ったが、生活もかかっていたのか。

リマリマの市街は渋滞がすごい。東京よりもひどい。TORITORIにとっては、東京よりひどい渋滞は初体験。そこらかしこでクラクション、車線や信号は機能しているようには見えない。歩行者がいても、クラクションを鳴らして、どんどん車が突っ込んでくる。どういう駆け引きで、このひしめき合った車たちが衝突もせず流れているのか、まったくよみとれなかった。もし、TORITORIが運転したら、多分、1mも進めないかもしれない。

P8033930ナスカまではおよそ7時間。ようやく渋滞も抜け、スムーズに走り出す。と、突如、砂漠の中に"Satomi Kataoka"の看板が。へ、日本語!?それも、人の名前!?どうやら、村の名前らしい。フジモリ元大統領の夫人の村だそうだ。フジモリ元大統領の名前を冠した村もあるそうだ。びっくり。運転手さんに、「あなたの街は?」と聞いたら、「まだ」との回答。がんばってください!

オアシス途中、砂漠のオアシスや、ライオンやインカ人の顔の岩など、細かいポイントで止まってくれた運転手さん。バスではそうも行かなかったので、感謝です。

ミラドールと呼ばれる監視塔で、木と手の地上絵を見た後、ナスカの町へ。どことなくこぎれいな町だった。観光客がうようよいるかと思ったが、地元の人らしき人もたくさん。こんなところからも、観光だけではなく、交通の要所としても機能しているのかな…なんて考えてみた。

TORITORI

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ウロス島のトイレ

パチャママ(前の記事からの続き)プーノでは、チチカカ湖に浮かぶ人工の島(?)、ウロス島へ。ホテルから港までの途中、たくさんのこんな写真のような情景を見た。玄関の前に、黄色い花びらを撒いている。いろんなバリエーションはあるようだが、この日は、インカの神様パチャママをお祝いする日だとのこと。

81_22その後、15人くらいは乗れそうな船にSakikoと二人だけ、貸しきり状態でウロス島へ向かった。写真のような葦の塊をたくさん繋げて浮いているのだそうだ。島の上は、ふかふかしている。住居や台所もある。ガイドが一通り島のことに説明してくれた後、なんだか、ウロス島「みんなこの島に、住んでいるような格好しているけど、本当は観光のためだけに作ったんじゃない?」と穿った考えが頭をよぎる。そこでガイドに「トイレなどもちゃんとあるんですか。」と聞くと、困った顔をして「うーん、いい質問だね。あるけど、観光客に見せるものじゃないから…」と。まぁ、確かにそうだ。でも、別に見たくて聞いたわけじゃないんだけど…。真相が気になる方は、実際に行って確かめてみてください。TORITORIはそれ以上は追求しませんでした。

シユスタニ遺跡島を後にして、プーノの北に位置するシユスタニ遺跡へ。インカの日時計の中心に立つとエネルギーがもらえると言う事で、しっかりと頂いてきました。また、ここはコーヒーマグのような墳墓でも有名らしい。近くにあった池に刻まれた溝が気になって、聞いてみたら、灌漑用の工夫だとか。その仕組みまで詳しく説明してくれましたが、理解がおっつきませんでした。

灌漑そして、明日はいよいよナスカ地上絵、この旅行でのもう一つの目玉だ。プーノとリマの中間ほどのところにナスカはあるのだが、ツアーの都合なのか、一旦リマへ戻る事に。これで、高地ともお別れなのだ。高山病の心配はなくなる。

TORITORI

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バイリンガル・ガイド

730_165(前の記事からの続き)3時半のビスタドーム(電車)で、クスコへ戻る。クスコ到着直前に見える夜景は絶景。かつてのインカの首都クスコが黄金に輝いて見える。座席は先頭に向かって右側の方がより長い時間この景色を楽しめる。(予約時に座席の指定はできないそうですが…)残念ながら、走行中の列車での夜景は上手に写真に撮れなかった。この日は、黄金のクスコの街に満月が輝いており、その鮮やかさは何にも例えようのないものだった。

4日目は、Inka Expressという観光バスで、クスコからプーノへ向かう。7時間のロングドライブ。プーノは南米最大の淡水湖チチカカ湖湖畔の町。標高は約3800m。富士山頂よりも高い。残りの日程を考慮しつつ、上手に高山病の薬を飲んだため、この後薬を買い足さずに済んだ。高山病の症状はおかげで出なかったものの、やはり、少し油断すると息苦しさを感じた。

この観光バスのツアーは、英語・スペイン語のバイリンガルガイドのツアー。はっきり言って、聞き取るのが大変だった。マチュピチュでの英語ガイドよりは上手な英語だったが、TORITORIにとって、英語・スペイン語どちらもカタカナ語。おまけにインカの言葉(地名や神様の名前)も混じるので、いつ英語に切り替わったかがわからず、難儀した。スペイン語だからと気を抜いていると、いつの間にか英語に変わっていて、集中力が戻ったときには、解説もスペイン語に戻ってたりして…。

Simg0045ツアーの途中、約4300mの峠を越える。富士山の標高を優に越えていても、普通に民家があり、さらに山が見えるのは何とも不思議。と、突然バスが草原で停車。どうやら故障らしい。いろいろ手を尽くしたらしいが、どうにもならないらしく、「代わりのバスが来るのを待つ」という。その間も運転手は、必死の修復作業。乗客は思い思いに草原を散策したり、バスのなかで昼寝したり…。バスが止まったのは4時前だったが、日没の5時半が近づいてきて、あたりは暗くなり、気温も下がってくる。陽がなくなれば、そこは標高4000mの世界、まして冬である…。

Simg0063すでに、外を散策する乗客も皆、バスに戻っていた。代わりのバスはいつ来るのか?いつしか、ガイドの姿も見えなくなっていた。運転手は、何度かエンジンをかけ、走ろうとしたが、ノッキングして進まない。それは、運転手が大きなトレーラーに助けを求めた後だった。バスのエンジンが轟いた後、スムーズに動き出した。車内拍手喝さいである。

結局、4時間遅れでプーノに到着。バスターミナルでのホテルの迎えはちゃんといた。どうやら、バス会社がちゃんと連絡してくれたようだった。このあたりの連携はしっかりしていたようで、助かった。

TORITORI

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震えが来るワイナピチュ

Machu Picchu(前の記事からの続き)3日目の朝、手持ちのGPSでは、6時過ぎが日の出の時刻とあった。もたもたしていた事もあって、6時半過ぎにマチュピチュに到着。空はすっかり明るかったが、四方を山に囲まれているため、マチュピチュには陽が当たっていなかった。ラッキーッ!

人も少なく、ゆったりと見学できる。昼間とはまたちがったマチュピチュを堪能できる。これは、日帰りでは楽しめない。やっぱり、一泊してよかった。結局、陽が当たり始めたのは、7時頃だった。

この7時という時刻は大事な時刻だった。マチュピチュの北側に聳えるワイナピチュへの登山道が開く時刻なのだ。そして、1日400人限定。ワイナピチュからは、マチュピチュが一望でき、絶景との評判なのだ。「震えが来る」とコメントすると人も。これは行かないわけにはいかない。

リャマと、盛り上がってた割には、リャマと遊んだりしてゆっくりしていたため、登山道の入り口に着いたのは、7時45分頃だった。既にずらっと人が並んでいた。列の最後尾について待っていると、係りの人が数を数えながら近づいてきた。「はいっ、ここまで!」(スペイン語だったけど、多分こんな意味)とばっさり、僕らの前で切られてしまった。一瞬頭が真っ白に。「えっ?ここまで来て登れないの?」と…。どうやら、時間を決めて人数制限をしていたようだ。「君達は10時ね」と言われ、1番の整理券を手にした。はっきり言ってホッとした。

往復2時間で登れると言う事なので、帰りの電車3時には余裕で間に合う。気を取り直して、時間までまた、マチュピチュ巡りをした。何度巡っても飽きない。ツアー客が到着するのが10時頃なので、とても空いている。空いている時間に見学できて、かえってラッキーだったような気もする。

さて、9時チョイ過ぎに登山道入り口へ戻った。今度は、列になっておらず、沢山の人が思い思いの場所に腰を下ろして自分の時間を過ごしていた。整理券1番。どんな段取りかわからないが、まだ10時まで時間があったので、空いている場所に腰を下ろして時が来るのを待った。

時折周囲の人の動きに注意を払いながら、時を過ごす。と、にわかに人々が動き出した。入り口に向かって集まりだした。「何?何?俺1番!」と思いつつ、スペイン語が話せないので、ただ何も言わず人の流れに身を任せ、入り口付近の人だかりへもぐりこんだ。

何が起こっているかまったく分からないまま、入り口の前まで来た。すると、TORITORIの顔の2倍(!?)はありそうな大きな顔のペルー人(?)が係りの人と大声でもめあっていた。彼は、ばらばらの番号の整理券を3枚持って怒鳴っていた。スペイン語なので何で怒っているのかさっぱりわからない。周囲の状況からも何を揉めているのか見当もつかない。口論の隙をみて、整理券を渡すチャンスを見逃さなかった。さっと渡し、無事登山道へ。時間は9時46分だった。入り口では、名前と入山時刻を書く規則になっている。結局、整理券はどんな段取りだったのかもわからずじまい。223番目の入山だった。入山制限の400人までは余裕だった。

ワイナピチュからいよいよ、震えが来るワイナピチュへ。最初の30分ぐらいはまぁ、普通の登山道だが、その後がすごかった。まさに震えが来る。急な斜面に、ステップの狭い階段。手を着かずには登れない。軍手は必須だ。すれ違いの(多分)アメリカ人が「グローブ。あら、いいアイデアね。ほら、(私の手)まっくろ」と言っていた。また、TORITORIはリュックを背負っていたが、リュックの荷物も可能な限り少ないほうがいい。普段と身体の重心の位置がずれ、急な崖っぷちを登れない。変に腰が引けてしまう。Sakikoは、「思ったよりもへっちゃらだった」と言うが、TORITORIはまさに震えていた。(高所恐怖症ではないはずです)

ワイナピチュからそんな急斜面の頂上にも、石段や神殿がこしらえてある。これまた、すれ違いざまに誰かが言っていたが、「インカの人は何でこんなところにこんなもん作ったんだ?」と。確かに。本当にすごい。

頂上は、マチュピチュよりも200mぐらい高い。マチュピチュだけでなく、周囲の山々も含め絶景だ。神々の存在を信じたくなる場所だ。

マチュピチュで持っててよかったもの


  • 粉末ポカリスエット:現地のミネラルウォータに溶かして持参。
  • ウィンドブレーカー
  • 軍手
  • 帽子
  • 可能な限りの身軽さ

そして、持ってなくて困ったもの…、リップクリーム。
TORITORI

p.s. 英語ではマチュチュみたいに発音していたが、現地の人の発音は日本語のそれに近い。英語のほうの発音が変なんじゃない?

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天空の都市マチュピチュ

(前の記事からの続き) Sakikoに買って来てもらった薬のおかげか、ツアーが楽しかったせいか、午後のクスコとその周辺の遺跡めぐりツアーは高山病の症状もなく、無難に終わった。

疲れを取るためにと、その夜、ホテルで湯船に湯を溜めてゆっくりと浸かったSakikoとTORITORI。それが、翌朝の災いのもとだったのか…。今度は、二人ともに高山病の症状が…。でも、昨日買った薬でなんとか乗り切ることに。

この日は、朝6時発のビスタドームでマチュピチュへ。クスコよりも標高が低い(2400m)のと、薬のおかげもあって、高山病の症状はなくなった。

マチュピチュでは、英語のツアーに参加した。ところが、Sakikoに「TORITORIの方がまだ英語が上手だよ」と言われてしまう程のガイドさんの英語。う~ん、確かにTORITORIのぐらいテキトーな英語だった。

マチュピチュ市街地一通り、ガイドさんに着いて回った後、日帰りならば、昼食後すぐにクスコへ戻る時間だ。でも、マチュピチュの麓のアグアス・カリエンテス(2000m)に宿をとったので、門が閉まるまで観光が可能だった。アグアスに宿をとっておいて正解だった。

案内されなかったところ、興味深かった場所、あっちへ、こっちへ、遺跡の中を巡っていると、実に楽しい。探検家になった気分だ。迷路のように入り組んだ道を曲がったとたん、目に飛び込んでくる景色に、感動する。ワイナピチュ見てボーッ写真やTVでよくみる景色でも、やっぱり生は違う!

段々畑に腰を下ろし、かつての住人達がどのように暮らしていたのか、なんて考えながらボーっとしていても飽きる事がない。さて、明日はマチュピチュの北に聳えるワイナピチュへ登る。日に400人しか登れない山だ。

TORITORI

ハイラム・ビンガム・ロードp.s. グッバイボーイ:マチュピチュと麓の村アグアスを結ぶハイラム・ビンガム・ロード。標高差400mの急な斜面にあるため、九十九折だ。アグアスへ帰るバスに向かって手を降る地元の少年。カーブの度にその少年が現れ手を振っている。同じ少年だ。なぜ?そして、バスが麓に着くとその少年がバスに乗ってきて、チップをせびる。誰が考え出したのか…本当に感心させられる。

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クスコの魔物

夏休みを利用して、ミネソタからペルーへ旅行する事にした。目玉は、なんと言ってもマチュピチュとナスカ地上絵。したがって、ペルー南部を巡ることになる。

幸いにもミネソタが夏時間を採用しているため、夏季の間は時差0である。日本からペルーへ行くのと比べると、これはかなり楽である。送迎を頼んでいたタクシー会社の都合で、通常料金なのにリムジンで空港まで行く事に、これは幸先のよい出発!それとも、ここで運を無駄に消費したか…。

夕方にミネソタを出て、アトランタ経由で、ペルー入りの予定である。真夜中の12時過ぎに出発した機内で午前1時ごろに「朝食です!」といきなり機内サービスがはじまった。朝5時ごろペルーの首都リマに到着する飛行機ではあるが、食事は到着前にしてくれるなりの配慮が欲しかった。午前1の朝食はあんまりだぁ。

冬(南半球なので四季が逆)のリマは曇りが多いと聞いていたが、その通りだった。ここでTORITORI、早くも頭痛に見舞われる。高山病にはまだ早い。リマは海に面した都市なのだ。日頃の疲れか…?

リマの空港でも高山病の薬は買える様だった。高地へ入る2時間前に服用すると、高山病を予防できる効果が期待できるそうだ。でも、薬が高かったので、ここでの購入はやめた。すでに、頭痛を抱えたまま、最初の宿泊地クスコへ向かう事にした。そう、クスコの標高は約3400m。時差がない分楽とは言え、頭痛を抱えたままでは、不安が募る。

緊迫する機内そこに、火に油を注ぐような出来事が。クスコへ滑走を始めた飛行機だが、なかなか加速せず、いつまでも陸上を走っている。飛ぶ気配がない。しばらくすると、客を乗せたままのこの飛行機は、整備場の前に止まった。機内に何の案内もない。不安が募る。整備士が数人あわただしく入ってきて、後方の座席付近でなにやら作業を始めた。無線でなにやらやり取りをしているが、スペイン語のためさっぱりわからない。機内アナウンスもない。整備士の顔は「ただ事ではない」という表情をしている(写真)。

結局、何が起こったのかわからないまま、この飛行機1時間遅れで出発した。1時間で済んだのはましなほうかもしれない。

クスコ標高3400mの赤茶の街、クスコに無事到着した。これだけの標高なのに、さら高い山々に囲まれた盆地である。ホテルに着いて旅行会社から、今後の予定を確認している最中、TORITORIは頭痛と吐き気が最高潮に達した。平静を装っていたが、ガイドにはばれていたかもしれない。深呼吸をすれば、症状が軽くなると言うが、ちょっと油断すると、すぐに息苦しくなる。これに時差ぼけが加わっていたら、どれほど苦しくなったのか想像もつかない。

さて、説明が終わり、ホテルの部屋に入った。TORITORIは、午後のツアーに備え、ゆっくりとする事にした。でも、昼寝は高山病には良くないらしい。ツアー前にブラッとしたいと言うSakikoに薬を買ってきてくれるよう頼み(バラでもボックスでも買えるらしい)、部屋で、ひたすら深呼吸をして、コカ茶を飲み、クスコの魔物(高山病)と闘いながら、彼女の帰りを待つことにした。

TORITORI

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ペルーからの生還

Car_accidentミネソタの橋(うちの近く)が崩落。私達は旅行中だったので被害には遭いませんでしたが、多くの方々から連絡をいただいたのにすぐに返事ができず、余計に心配をおかけしました。すみません。

また、旅行先のペルーではバスが横転して7名死亡という事故があり、その後処理で足止めをくらったりしました(写真)。二階部分はぺっしゃんこで見るも無残な姿です。

どちらも巻き込まれる可能性が無きにしもあらず。バスが遅れたりしたことに不満を持っていましたが、無事でいられたのが何よりだと思い直しました。人生いつ何が起こるかわかんないですね。

とりあえず、たった今無事に帰ってきました!旅行記はまた後ほど。Sakiko

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